9/24 にっき
(主に)今日きいた・みた・よんだ
- マーブルビターチョコレート / 幌山あき
買う買われるの関係の入った百合。結局のところ人間、寂しさなんじゃないかということを読み取ったがどうなんだろう。この作品は支部で読み作者のこともフォローしていたんだけど最近フォロー新着を見ることがあまりなく気付いていなかった。もう少し早く読めたらよかった〜と思う。いい作品。
いつも買うか迷うな…と思って買っていなかったんだけども迷うくらいなら買ったほうがよくない?と思い買った。アンソロジーを買うたび思うが自分に関してはかなり作家買いが合うタイプなので次からは作家を見るか…と思う(アンソロジー自体は良かったが、これこれこれ!となるものが多くなかった)散田先生、くもすずめ先生の作品は結構これ良いな〜と思った。
今日した
- 課題作業
- 授業消化
かわいくない?
ほか
思うに、何かを好きになる時それとの距離というのも大切であって、
友人が某Vと出身校が一緒だからなんというか距離が近すぎて好きだけど推せないと言っていて、そんなもんかなあと思っていたけど確かに自分も漫画の関西弁キャラはそこそこだな…となった(Vはすき)
— M2r (@_mtmtr_) 2021年9月24日
友人が某Vと出身校が一緒で実在方面に先輩後輩となってしまうのはさすがに距離が近すぎる、実在性を感じてすぎてしまうと言っていたのを思い出し、あまりピンとはきてなかった(Vはあくまで仮想実在性の存在であると思っているため)のだけど、この前漫画を読んでいて関西弁のキャラに対して違和感をかなり感じ、あ〜こういうことかなとなった。文字情報の関西弁ってなんというかアレじゃないですか?喋ってる自然さに比べて違和感マシマシ
— M2r (@_mtmtr_) 2021年9月24日
前述したとおり自分の話し言葉を文字情報に置き換えたときの違和感というのもあると思うのだが、おそらくその違和感も普段の感覚との乖離であり、結局そのものとの距離ということになると思う。
距離が近くないと好きになれない人もいるのだろうし、距離が遠くないと好きになれない人も当たり前にいるはずである。そこのニーズが上手く噛み合わない場合に問題が起こってくるのだろう。