いえかえろ

かんがえたこと わすれない

9/3 にっき

(主に)今日きいた・みた・よんだ

当初こそ児童の発達障害に伴う症状に対する療法に相応しくない描写があるとして疑わしく見られていた漫画なのだけど、今はどうなんだろう。でも児童の精神科系疾患について知らない人が見てうまく理解ができるようになっている漫画だとは思う。漫画としてのオチ(その疾患の描写・治療の描写にリソースを割きすぎている訳でもない)もちゃんとついており、この手の漫画にしては上出来じゃないか、と感じる。美大落ちて浪人するとしたら美大受験対策を続けるか、もういっそめちゃくちゃ勉強してこの分野の人間目指そうかなと思っていた節も少しある。まあ勉強は続けていきたいと思う。

今日した

  • 課題

今日はそんなにめちゃくちゃ長時間の通話がなくて、それに伴って作業の進みもそんなになのだけど、果たしてこれは、という感じである。本来一人で集中できるのなら別に誰かに頼らなくても、場所も時も選ばずに作業を進めることができるということなのだけど…でもまあそれが無理なので通話という手段をやっている訳ではあるが。

ほか

apexはゲイのキャラがいたり、バッジにレインボープライドやstop asian hateなど種類があったりして、意識付けが良い多様性のあるゲームだなと思う。そのような面で。目につきやすいところでそのようなムーブメントをしておくのは良いと思う。

自分の興味のある分野を今一度整理すると児童の精神科系疾患について、デザイン、ジェンダー・セクシュアル認知で、まじで大学まで行って学ぼうかなと思っていたのはその中の前2つなのだけど、デザインを除く2つはだいぶセンシティブだよな〜と思う。ジェンダー・セクシュアルについてはまだそんな深く聞いても良い風潮(すごく葛藤せずとも、安心してオープンにできる風潮)にないし。児童精神科系疾患については割と親がエッセーやブログ・コラムなどでこどもの困りごとを綴っていたりするのだが、やはりそういう媒体に載せる以上、これもしかしたら少しキャッチーな改変なども入っているかもな、という描写がたまにあったりなかったりするので難しいものである。

セクシュアリティについて調べると毎回あらゆる名称の多さに圧倒されてしまうのだけど、名称の数だけ安心したい人がいるんだなと考えると、とてもとてもいっぱいいるんだなと思う。実際自分も少しそう思うときはあるし、何かしらの枠組みにいるといいなと思うときは誰でもあるとは思うが、当事者の人やその周りの人(セクシュアリティなどについて理解がある者など)が変動するものだから、昔はああだったけど今はこうです、などもいいんだよ。など言っているのを見ると、果たして名称で落ち着く場所を一旦決める必要とは、と思ったりもする。男が好き、女が好き、自分は男の時も女の時もある、自分の心に性別のどっちなどがあるように感じない、人に対して性欲・魅力を抱かない、どこからが友愛でどこからが恋愛感情なのかわからない、昔は女性だけが好きだったけど最近は両性好きになります、など、様々な人の個々の状態を言葉で説明する方が的確でいいのではと思うのだけど、でもそれだと当事者同士などで出会いを求めるときにマッチングなどが難しいんだろうなあ。

 

友人がマッチングアプリで出会いを求めているという話を聞き、そこまでして出会いたいんだ、という気持ちとまあそうかもしれないな…という気持ちが混在している。アロマンティック当事者のBuzzFeedの記事がトピックにあったが(作者が友達に対して恋愛感情の好きってどんな感じ?と聞き、なんか心がギュッと締め付けられるような感じと返答がくるのだが、それに対して作者はボンレスハム?と返しており、単純にそう思ったのか漫画としてのウケを狙ったのかはわからないが、その描写について作者はその友達を少し軽く見ていそうだなと感じてしまい、漫画自体はあまりよく感じなかった。あまりこのようなウケ狙いは好きではない。人の心をなんだと思っているんだ…)(また、自分を異性として見てくる男性に一気に嫌悪感を抱き、この人は私を女としてしか見ていないんだ、自分は女の器を破っても好きになってくれる人が…などという描写があるが、それは一方的すぎやしないかと思う。相手は異性を好きになる人間だったのだという見方もできる余裕があればいいなと思う。)、将来、ひとりになるかもしれない…と考えると自分は嫌だなと思う。嫌だというより一人で暮らすのに向かない人種かもしれないと暮らしはじめて常々思う。それを考えると一緒に暮らすならできればこの性別で、こんな人がいいななどは普通にある。一般的にはそれが恋愛感情と結びつきやすく、付き合う・結婚するなどに行き着くんだろうなとふと感じた。