いえかえろ

かんがえたこと わすれない

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(主に)今日きいた・みた・よんだ

  • ぼっち・ざ・ろっく!を最後まで見ました。

最終話のぼ←喜多に脳を焼かれてしまった。

「私は人を惹きつけられるような演奏はできない、けど…みんなと合わせるのは得意みたいだから」

というこの言葉の持つ大きな憧れや小さな諦めのことを考えるとどうにかなってしまいそうだ。後藤ひとりというこの人の煌めきを他の人にも見せたいと思ったこと、自分もその光に焼かれたうちの一人であること、その煌めきをもっときらめいて見せるための支える光になりたいという喜多郁代の感情、、互いが互いの星であること…

後藤、お前は喜多郁代が見上げる星空に光る一等星なんだよ。という気持ちになってしまう。

 

  • 水星の魔女の1~11話までの見直しをした。

ミオリネ・レンブランという人と温もりのこと、今までミオリネとスレッタのことは「モノクロだった人生に飛び込んできた強く不思議な異分子」だったり「勝手に色を付けてきて、それ以前のモノクロには戻してくれないような強い色」だと思ってたりしたけど、ことミオリネ・レンブランの視点でいえばスレッタ・マーキュリーという人は自分にとっての温もりであり、誰からも熱を与えてくれず自分の内部だけで燃えていることしかできなくて凍っていたところを溶かしてくれたあたたかさというか…。そんなような人なんだろうなと感じています。でもそれでいて閃光のようでもあるというか、強く光る部分もあるだろうとも思います。

ふたりの(主に恋としての)感情の向き合い方として、こう表すのが自分にとってしっくりくるなという結論に至った。そもそもミオリネは助けられた時からもうスレッタという人から目を離せなくなっていて、でもその時点ではスレッタに関してはミオリネのことは視界にも入っていないんだよね。スレッタの中の恋愛というのはずっと男女規範で、ミオリネに関してそれを超えてくるような大きなきっかけがないから。でもあの瞬間、あの時、自分と家族の窮地を救ってくれたのはミオリネという少女で、その時視界の中央で捉えてしまったから、その姿を中央でずっとという訳でなくとも、姿を追い続けてしまうようになって…その人の姿(自分をずっと見てくれている姿も含めて)を、輪郭をだんだんとはっきりとらえるようになっていく訳で。10話でその目線がぶれるけど、11話では言葉というものでミオリネさんが私のことをちゃんと見なさい!と言うことでさ〜〜はじめてお互いがお互いで真正面から同時に姿をとらえるようになってさ……12話はどうなるんでしょうね。楽しみ。

 

今日した

お仕事を…。3D系の作業をしているんですけど、数時間してやっとソフトをわかりはじめることができているような気がする。こうやってこういう機能を使ってこう作ればいいんだよねということはわかるんだけどその機能を引き出してくるのがむずい。

ほか

ずっと言及に対する怖さと言うか、自分の読解力への自信のなさがある。というか全てにおいて慢性的に自信がないのでその辺どうにかしていきたいなあ。オタク活動原作読解や現実インターネット双方の人付き合いとかも頑張りたいですね。