いえかえろ

かんがえたこと わすれない

8/18 にっき

(主に)今日きいた・みた・よんだ

ソ氏の歌った歌! めっちゃ良かった。雰囲気が良いしとても合ってる。Aiobahn楽曲は初めてきいたのだけど他の曲も聞いてみようかな。イラストレーションがizmiさんなのも良い。

  • 大豆田とわ子と三人の元夫(ドラマ)

見終わりました。最終的には三人で三人が好きだったんだなあ。だからといってもだからではないかもしれないけど、形が既存のものに当てはめるにははみ出るところがどうしても出てきて、それだとうまくいかなくて、でも三人で三人のことが好きなんだという…。

 かごめちゃんが作中で異性間で仲良しでいたいと思ってもそれはどうしても自分がそうじゃない(したくない)と思っていても相手からしたら大抵恋愛になっちゃうじゃん、というような感じのあらわし方をしていて、そうだよなあ…と思うなどした。異性間で恋愛感情一切含まない友達関係って築ける?論争がいまだに存在するくらいだもんな。(この論争に関してはとにかくはあ?と思っているけど)なんも言えないですね。そういう考え方の人の方が多いかどうかはわからないけどそうなってしまうパターンの方が多いことは多いのかもしれない…。

 最終話でいきなりああいう話(とわ子のお母さんの好きな人)が出てくるのは少し驚いたけど、そこに対しての今の人間の感覚と昔の人間の感覚の違いをさりげなく出してくるのは良かった。(同性同士の好き同士だった関係について「恋人だったの?」とサラッと聞けたりなど)「その肩書ひとつで私たちのことをあらわしてほしくもなかったけど」みたいなセリフもあった気がするが、そうだよね…当人の間の関係は当人の間の関係の感覚でしかないので。『魔法が使えなくても』にも「(たまきちゃんのこととか私たちのことを)表面だけ見て知ったようなこと言うから」って千代ちゃんが怒ってたりたまきちゃんが自分たちのことに関して他人から付き合ってるんだよねと聞かれて「え どうかな〜 とっても仲良しですけど」と表現してたりするシーンがあったなと思い返していた。好き同士、仲良し同士でも、肩書であらわせる・あらわしている関係の中でも、結局どれもそれはスペクトラム的な、極めてグレーなものであり、結局のところは本人たちの本人同士の関係に過ぎないのだと改めて感じた。そのような感覚で創作やっていきたいな。

  • 春風のエトランゼ(漫画)
  • 雪の下のクオリア(漫画)

カンナ先生の漫画読み返していた。春風のエトランゼ、話も良いのだけどとにかく犬がかわいいんだよな〜〜〜〜〜〜〜犬〜〜〜〜〜。カンナ先生の漫画はとにかく背景が良い。自然で、人もそこにちゃんと地に足つけて生活しているというか…

  • ひみつのおねえちゃん(漫画)
  • えりちゃんちはふつう(漫画)

藤生先生のエッセー。藤生先生は女×女恋愛エッセーの『parlor』から知ってエッセーを何冊か買ったのだけど、なんとも言えない、雰囲気があり、何度も読み返してしまう…

 

今日した

  • 課題いっぱいやったよー!

ゴシック体あと3つ書いたら文字書く課題終わる。

 

ほか

今実家にいる+天気悪くて体調あんまよくなかった+話すこといっぱいある、とかで親とかなりいろんなこと話すんだけども、めちゃくちゃ眠くてやたらごろごろソファに横になっているときとかの方がめちゃくちゃ饒舌なの自覚して、な、何故…となってしまった。寝言をよく言うタイプの人間なんだけどそこと関係しているのかな。