いえかえろ

かんがえたこと わすれない

「そばかす」について

「そばかす」の内容について満遍なく触れてます。パンフレットの内容にも

 

映画「そばかす」を見てきました。自分とこの映画の関わりとかも書いてる。まとまりがないnotheroinemovies.com

 

新鮮な感想から。

 

そばかすという映画はいわゆる地方に生きるアセクシュアル・アロマンティックの人間が主人公として描かれていて、普段から感じている世への違和感とか、人との感情の相違、そうして起こる事象とかが結構あるあるというか、そうだよね〜となる感じで細かに描かれている。

自分は初めからずっと友達のつもりでいるのに、なんかそういう恋愛的な目線で見られ始めるとか、恋愛関係になれないのなら友達ですら無くなる関係性への戸惑いとか、好きなタイプは?どんな人が好きなの?で始まる話題とか、親(まあそりゃ大抵の親は恋愛できる人ばっかなので)からの質問攻めとか、そういうのに馴染めない違和感のある生活をずっと送っている主人公・佳純の描写が前半のメインなんですが。後半では友人・真帆との出会いや、自分のことの発露、同居計画、同居計画の頓挫、家族からの無理解、友人への祝福とかが展開として入ってくる。

 

 

パンフレットではわざとアセクシュアルやアロマンティックの名前を出さないことについて「そういう名前の特別な人の話なんだと客観的に見られないようした(要約)」と書かれてあり、そのような意図がある上でこれをそう作っているなら、誠実な作りである映画だと感じた。また、名前を出さないことが効いている部分がもう一つあり、それは上記にある通りゲイやレズビアンなどの同性愛者の呼称はそのまま出てくるところで、この両方により「恋愛する(できる)人たち」は存在としてあり、「恋愛しない(できない)人たち」は表面に浮かんでこないような作りになっている(あくまでこの映画では)。

妹がああ発言するのだって、"男性とそういう関係になろうとしない、女性のとても仲の良さそうな友達と同居しようとしている、相手が結婚するかもしれないからといきなり計画が頓挫しても「祝福するよ」と強がっているように見える"という状況を見て、妹の中でお姉ちゃんは女性が好きなんだという結論に至ったからであり、「恋愛は皆できるもの」という前提を持つグロさが割とがっつり、ありありと描かれている。

 

佳純は純粋に友人の結婚について祝福している訳であるが、それは佳純がそのような人であるから、という個人の性格を抜きにしても、どこかに「恋愛的な繋がりに負けるのは仕方ない」諦めというものはあるだろう。実際、一緒に暮らしている様子を想像するほど佳純は同居を楽しみにしていた訳であるし、多少「なんでなんだ」と思ってもいい場面である。

(そもそも、佳純はこの映画において、抑圧されていても声を大きくあげることはないし、デジタル紙芝居で一人で生きたいように生きるシンデレラを描いてそれについて「多様性とかはいいと思うけど、純粋な子供に変な価値観を植え付けるな」(←は?)と指摘されても指摘されても謝って終わってしまう、「諦めた」人であるとも描かれている。)

 

でも、そんな「諦めた」人はどこかにいるし、諦めていても声を出してみれば、案外同じような人間がいることに気付けるのかもね、このままでもいいと思えるかもねというのがこの映画なのであるが…ちょっとここまで書くと全部書きそうになるのでここらへんにしておく。

 

細々したとこなど

 

自然にそのような目線に入ってくるって今まで恋愛感情を持ったことのない人間からするとプロセスがかなり謎で、どうやってどの時点からどのような理由でその意識や重さが変わるの?というのをずっと疑問に思いながら生きてきたので、わかるよ…となった。佳純からしたらずっと「仲のいい、ちゃんと遊ぶことのできる友達(しかも恋愛する気がないらしいので他の人より気が楽)なので旅行も旅行として楽しむ」という意識なのに、いつの間にか向こうは「好きだ、相手も自分と仲良く遊んでくれているから自分のことをそのような目で見てくれているのではないか?泊まりってそういうことだよね?」になっているんだよな。

もちろん佳純はどっちかの部屋で酒を飲もうよと言われて逡巡するし、そのドアを開けていいのかも迷う。別にガードがないとかではなくて、そこに一縷の希望をかけて、ドアを開ける訳です。

 

ここで佳純は「とてもいい友達だと思ってる」「そもそも自分は人を恋愛的な目線で見れないし、性的な魅力もわからない人間なんだ」と告げ、「恋愛的な関係ではなくても。二人の良い関係を築くことはできないかな…」とダメもとで提案するのだけど、相手は恋愛感情は誰にでも備わっている大前提があるから(そりゃあ自分にあるんだからそう思うよね)、佳純は「自分に魅力を感じていないから自分を傷つけないような言葉で拒否してきている」と感じて「(そのような関係になれないなら)もういいよ」という訳で。佳純の提案はすごくわかって、それを求めて良い関係を築けるのであればすごくいいよね、と思うのであるが、相手からしたら佳純の提案は相手にとってショックだし、身勝手に感じることもあるのかもしれないなとも思う。

言うなれば、単にこれは「相手と自分の要望がマッチしないのでお別れしましょうね」という話でもあり、仕方ない話でもあるのだが…

 

 

この映画から少し飛ぶが、Aスペクトラムである人たちのことについて、そのような性質を持つ人たちは「無い」ことを自覚している訳であるが、「無い」ことの証明って難しいよね、という話もある。

ツイート内容が全てなのであるが、無いことって、言い切れないから難しい。

別の作品を引用すると、『やがて君になる』の侑は「私にとってはそれは自分から掴みに行くものだった」と言うが、掴みに行くきっかけがなかったら侑にとってはそれは「無い」と思ったままだったのかもしれない。でも有ったんだよね。一方で槙くんは「それを自分に向けられると辟易するしやめてほしい」、という形の「無い」ものだった。それははっきりとしていたし、彼には「無い」と言い切れる自覚がある。「無い」と思っていてもそれは従来の形で自分に降りかかるようなものでなかっただけで「有っ」たり、はっきりと「無い」と分かったりする場合だってあるのである。

「無い」ことに様々な形があることに関連して、

佳純は「恋愛しないし、性的な魅力もわからない、でもそれでいい。自分の人生は一人でも寂しく無いし、周囲の人らの中で自分なりに楽しく生きますよ」というスタンスであるが、「恋愛しなくていい」と思っている人たちがいる中で「恋愛してみたいのにわからないからできない」という人がいることももっと可視化されてもいいのになとも思う。(いやまあ自分がそうであるだけなのだが…)絶対そのような人たちって無数にいて、その意識があるから今に限ったとしても自分が「今そうである」と言えないのだろうと思う。

Ace/Aroの人のインタビュー記事などを読むと、自分には必要なくて辟易するものだったと言う人のインタビューがほとんどであり、それ以外の人がなかなか表出してきていない。そこが多様でもいいのになと思うとともに、そう思っている人たちしか「無い」ことを無いと受容して表立って言えないのかもしれないとも思う。

 

自分の話になってしまうが、何であるという明確なものがない以上自分を断言したくないとも思っているので、「これかこれに近い状態かな…」というスタンスでいるが、だからといってそれが気にならない訳でもないし、将来に対する不安も残っている。でもそれも自分だし、それが無かったら自分ではないとも思うので、仕方ないがまあ自分はこんな人間であるという意識でいる。この映画はその意識を強くしてくれたというか、「まあしゃあないので自分らしく生きていこうや」ということをより大きく思わせてくれた映画であった。

 

あまりまとまりがなくてよくわからない文になったが、これはすごくいい映画であるし、描き方も真摯であったし、色々思うところや考えることが多い映画であった(ただ、似たような性質を持つひとにはかなりつらい描写もあるし、性質抜きにしても多分つらいと思うので気をつけてほしい)。

映画を観終わった後の主題歌、羊文学が作った「風になれ」という曲がすごく沁みるので、それもぜひ体験してほしい……。

1/8 日記、水星のこと

(主に)今日きいた・みた・よんだ

  • 水星の魔女12話

お…おい…てなりながら見た。今週前半のうちに母(歴代ガンダムを全部じゃないまでも結構見ている)に11話まで見せていたので一緒に見たんですが、うわあ〜〜〜ガンダムってこうやんな……て言ってた。スミの絵を描いてくれるらしいけどいつ描いてくれるんだろう

何ていうか心理実験とかでしそうな刷り込みだよね。(その道のことには自分はあまり詳しくないので何ともいえないのですが、心理学科の友人にでも聞いてみるか)プロスペラからしたらスレッタは「戦うための強い道具」「人でありつつも兵器」であるのがグロい。いわゆる毒親…どころではなく、そのためにこの純真な子を作ってたんですよ〜感が今までより一気に見えてくるような感じになっていて、まあそうだよな〜〜。でもきついな〜〜〜になっている。

スレッタは一応人死にを見ることは慣れていて、ミオリネは見慣れていないという差はあれど、、、という話であり、、、

スレッタはプロスペラによってアップデートされた「救うためには人を殺すことも時にはしようのないことである」という価値観の元、「自分にとって大切な人を助ける」ため、正しいというか「その時に一番適切であった行動」をしたまでで、自分がしたことは救助と変わりないと思っている。ミオリネは、そのスレッタの正しいことをしたという意識の元のにこやかな顔というか、人を躊躇なく殺し、それを感じさせないような普段通りの顔を見て、「人を殺したのに何でこのような顔や態度をしていられるんだろうか」と、それに対して恐怖を抱いている。隔たりだよね。

ミオリネについて、この16歳の、そしてスレッタのように人死にを見ることに慣れている訳ではない少女について、こんな至近距離で人が一瞬にして潰される(腕が単体で飛ぶくらい)様を見て、それが自分のためで……となると心に負う傷というのは計りきれなくて、誰がそれを慮ってくれるだろうか、という話がある。この状態でこの状態のスレッタとただ向かい合わないといけないのかとか、この状態でこの状態のスレッタとともに歩んでいかないといけないのかと思うと、たった一人の子供が背負うべきではないことであるというか、これを周囲はどうしてくれるんだろう、というのが二期で今一番気になることかな…幸いスレッタはピンピンしてるので。

 

今日した

地元の高校卒業してから会ってなかった友人らと会ってきた。結構でかい集まりでみんな二次会いくぜーーーみたいな感じだったんですけど、あんま行く気がなくて、もうひとり行かない友人がいたので、二人で最近の推しカプの話をしてました。最近の推しカプ話をお互いしていたらめちゃくちゃ時間経ってて、水星視聴がギリになった。いつまで経ってもオタクはオタク!

ほか

そばかすという映画も昨日見たのでそれの感想も書く予定です。

1/4

(主に)今日きいた・みた・よんだ

  • フラッシュバッカー


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    ああ〜〜〜これだぜ…と思いながら聞いている。シューゲイザーです。フェイクワールドワンダーランドとかそれ以前あたりの時期のきのこ帝国の系列。間のコーラス?声?とかモロにそれだから…


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    このへん。

    ぼざろとかいうすげー作品

今日した

おし…お仕事を…

データが消えました!!!!!泣

悲しいね。でも同じこと2回目は2倍以上のスピードになったのでまあ…という感じ。頑張るぞ。まだまだ…

ほか

ナイトインザウッズの話はこのブログでも…話題に出したことがあるだろうか。すごく自分のテンションというか精神状態に合うゲームで、どちらかというとハッピー!て感じのストーリーではなく、やっているうちに精神が凸凹してくるよりか、すごく高い低いがあるとすればちょっと低い方で安定してくるようなストーリーである。

大学での失敗、過去のトラウマ、友人の家庭環境、友人との喧嘩、クイアの人たち、変な隣人、変な団体、宗教、貧困…などひとつの町の色々抱えているものたちを問題提起とかそういうのではなく「あるもの」として描いている。その上で自分は日常を過ごし、時はすぎていく…という…そんな感じ。かなり自分はこのゲームが好きで、何周かしているし人にもやってほしいと思っているのだが、若くして亡くなった作者自身女性への虐待やハラスメントをしたという問題を抱えており、手放しに勧めることはできないなと思っている。

クイア性の強いゲーム作品だと今一番安心して勧められるのはunpackingかな。

1/3

(主に)今日きいた・みた・よんだ

  • ぼっち・ざ・ろっく!を最後まで見ました。

最終話のぼ←喜多に脳を焼かれてしまった。

「私は人を惹きつけられるような演奏はできない、けど…みんなと合わせるのは得意みたいだから」

というこの言葉の持つ大きな憧れや小さな諦めのことを考えるとどうにかなってしまいそうだ。後藤ひとりというこの人の煌めきを他の人にも見せたいと思ったこと、自分もその光に焼かれたうちの一人であること、その煌めきをもっときらめいて見せるための支える光になりたいという喜多郁代の感情、、互いが互いの星であること…

後藤、お前は喜多郁代が見上げる星空に光る一等星なんだよ。という気持ちになってしまう。

 

  • 水星の魔女の1~11話までの見直しをした。

ミオリネ・レンブランという人と温もりのこと、今までミオリネとスレッタのことは「モノクロだった人生に飛び込んできた強く不思議な異分子」だったり「勝手に色を付けてきて、それ以前のモノクロには戻してくれないような強い色」だと思ってたりしたけど、ことミオリネ・レンブランの視点でいえばスレッタ・マーキュリーという人は自分にとっての温もりであり、誰からも熱を与えてくれず自分の内部だけで燃えていることしかできなくて凍っていたところを溶かしてくれたあたたかさというか…。そんなような人なんだろうなと感じています。でもそれでいて閃光のようでもあるというか、強く光る部分もあるだろうとも思います。

ふたりの(主に恋としての)感情の向き合い方として、こう表すのが自分にとってしっくりくるなという結論に至った。そもそもミオリネは助けられた時からもうスレッタという人から目を離せなくなっていて、でもその時点ではスレッタに関してはミオリネのことは視界にも入っていないんだよね。スレッタの中の恋愛というのはずっと男女規範で、ミオリネに関してそれを超えてくるような大きなきっかけがないから。でもあの瞬間、あの時、自分と家族の窮地を救ってくれたのはミオリネという少女で、その時視界の中央で捉えてしまったから、その姿を中央でずっとという訳でなくとも、姿を追い続けてしまうようになって…その人の姿(自分をずっと見てくれている姿も含めて)を、輪郭をだんだんとはっきりとらえるようになっていく訳で。10話でその目線がぶれるけど、11話では言葉というものでミオリネさんが私のことをちゃんと見なさい!と言うことでさ〜〜はじめてお互いがお互いで真正面から同時に姿をとらえるようになってさ……12話はどうなるんでしょうね。楽しみ。

 

今日した

お仕事を…。3D系の作業をしているんですけど、数時間してやっとソフトをわかりはじめることができているような気がする。こうやってこういう機能を使ってこう作ればいいんだよねということはわかるんだけどその機能を引き出してくるのがむずい。

ほか

ずっと言及に対する怖さと言うか、自分の読解力への自信のなさがある。というか全てにおいて慢性的に自信がないのでその辺どうにかしていきたいなあ。オタク活動原作読解や現実インターネット双方の人付き合いとかも頑張りたいですね。

1/2

(主に)今日きいた・みた・よんだ

先輩と父の記憶…

ずっと先輩の心の中には自分の手を引っ張ってくる父親という存在がいて、先輩はこれを「いや」「思い出したくない」としていたのであるけど、海に父と自分を繋ぐ「草木や花」というものを肯定されて、次第に「許すことはできないけど確かに自分は好きだったんだ」ということを両立、肯定することができるようになって…

優しさをくれた、という表現には間違いはないけど、この話の場合では優しさをくれた人に優しさを返すという表現ではなくて、先輩自体はそもそも少しぶっきらぼうなだけで優しい人なので、海は自分の柔らかいところを柔らかいままでいいんだよと伝えてくれて傷つけることなくそのままにしていてくれたから、この人が自分でわざと傷つけている柔らかい部分を柔らかいままでいいんだよと伝えてもいいよなと思うようになったと表現する方がおそらくふさわしい。

海の柔らかいところは、昔についた大きな傷が痛むからと自分でほかに小刻みに新たな傷をつけることでその痛みを紛らわしているのだけど、本当はそれは早くに癒すべきだった傷で、癒されなかったからこのような不器用な生き方しかできなかったのである。先輩は、海との関わりで肯定できるようになった昔の幼い自分と父とのことを、その包みかたを、あの大好きだった包まれかたで、この人の柔らかさを少しでも癒すことはできるかな、と思うに至って、あの時間があったんだよな。

 

  • 魔法が使えなくても

魔法が使えなくてもはいつでも感想をここに書いているので割愛。

今日した

大したことは… 本を買ったくらい。HSK公認テキストを買ったのでやるぞー、中国語!

ほか

なんか調子が出ないよね〜〜〜〜。割とネクラではない人間のはずなのにインターネットを一枚噛むと思考・思想!!になってしまう。文字媒体ってのがダメなのかなあ。

頑張る。

1/1

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

1000円抽選でもらえるかもしれないらしいので(2回目)

 

最近怖いことは家系がリウマチ家系を極めてきたので自分もリウマチになる可能性が大いにあることです。指先使う趣味が多いのでどうにかしたいね。

2023年にやりたいこと

とりあえずこれだなあ。特にやりたいのは中国語。大陸コンテンツ(アークナイツ)にとにかく触れてるのでそれができれば割といろんなことがスムーズになるのと、水星の魔女で二次創作されている方たちでも中国語圏の方が多いので。ある程度掴めるようになればわざわざ翻訳使わなくてもさっと読むことできるし…

あとは前から呟いているようにinDesign。ページもの作る時イラレじゃちょっとデータが重くなりすぎるし、ページネーションをいちいち自分でやり直さないといけなくなるので、割と面倒。inDesignならノンブルもだいたい間違わずに付けてくれるから楽できるんだよな…。

 

自分のスキル取得に関係ないところで言えば ⚪︎落ち着く⚫︎必要以上に不安にならない があるけど、落ち着くに関してはとりあえず毎年掲げている目標で、別に今自分が落ち着いているか否かに関わらず今年はメイン目標に設定した。必要以上に不安にならないに関しては、去年はちょっと将来のことや自分の今後の進退、己の性質の不安などの不安のドツボにハマってどうなってしまうんだろう…となってしまう期間があったため。ちょっと作った作品や摂取した作品に引っ張られすぎた面はあるので、そこに関しては落ち着くを適用…てとこかなという感じです。

 

あと、年度が変わってから友人と同居することになっていて、自分は現住居のキッチンが狭すぎることと作業スペースの改善ができないくらい自由がないこと、相手は大学までが遠すぎることで諸々今のままだと大学生活キツイよねえ、近くのワンルーム二つ借りる方が割高だしちょっと広めの部屋で一緒に住むか〜となった訳であるが…自分は割と料理が好きで、というかアレルギーがあるので割と自炊をする方だから、この機に料理のレパートリーを増やしたいね〜という所感。一人分より二人分の方が作りやすいし…

 

さて・とりあえずここで区切っていつもの感じに今日は戻すことにする。

(主に)今日きいた・みた・よんだ

  • 塵影に交わる残響

読み終わった。エベクラ…… エーベンホルツもクライデも知り合って数日ではあるけど「あの頃」の記憶から数えるとそれはもはや十数年分の想いであるんだよね。

狂いの文章。

 

あと今日はAwesome City Clubのアルバムを聞いていました。「今夜だけは間違いじゃないことにして」が曲としては一番好き。これApple MusicだとジャンルがRockになっていて、そうなんだ〜。となった。でもいろんなジャンルが混じっているよね。代表的に言うならRockなんだろうか?

今日した

おみくじを引きました。後吉(のちきち)というのが出て何これ?となった。他の家の人は全員大吉。まあ自分は去年大大吉だったので…何を引いても下がるしかないのである。でも後吉って何なんだ。

ほか

見ている人なんて数人しかいないし(アクセス解析って便利やね。ツイッターのインプレッションも便利。)別に隠そうとも思っていないし、ちょっと出力したいので書くのだが…

去年の11月くらいから本気で自分の性的指向について自分で考えても謎ばかりで悩んでいて、えー多分このブログに何個かふんわり書き残してはあるんですけどその中でも…

ittantonbogaeri.hatenablog.com

これだ。この回でラベリングの話をしていて、セクシュアリティには多様な名前があるねということについて触れた訳であるが、枠組みに入って安心したいという気持ちの内訳にその中のコミュニティを作りたい、自己紹介を簡単にできない!というのは絶対にあるぞと数ヶ月考えてたどり着いた。セクシュアリティに限らず、例えば持病がある人であったりオタクであったり、「何かに所属している中でそのコミュニティの人と繋がりたい」場合に、新種の病気です!となれば不安でしかないし自分ひとりしかもはや残されていないこのジャンル、となればまあ多少孤独ではあるだろう。

実際に自分が何か分からなければ自己紹介もあー…こうこうこうでどうな人間です…というくどい言い方になってしまう。利便性という面ではやはり名称がある中に収まっておいた方が便利であるし、、、世界〜〜〜になってしまうね。

まあ自分が死ぬまでに一緒に過ごしてくれる人が見つかってればいいや…

12/31 一年の締めくくり

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

Amazonギフトカードもらえるらしいので…。

 

自分の2022年

インターネット一人称は自分を使いたい!てことで自分の2022年。「自分」を使うのが自分にとって何よりもフラットであるように感じ、数年前からずっと続けている。今年ももちろん。

 

まずはよく聞いた曲から。

  • City Lights somunia × nyankobrq cover


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    原曲も含め下半期に一番聞いた曲。特にsomunia氏のカバーをよく聞いたので載せるのはこっちにした。程よくテンポも高くて作業の支えにしていた曲。

 

  • 残機


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    ずとまよさんの歌は歌詞がこう…メロディを補佐するためのものという感じで音楽として全部を受け取れるのが良いなと感じる。すごくいい。

 

  • ブレーカーシティ


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    これ系の曲のジャンルはGlitch HopとかFuture Bassというそうです。カワイイなと思う。これ系の曲だと約束カラットとかも好き。

 

  • snooze 藍月なくるcover


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    snoozeのカバーはなくるさんが一番ええ!!!!と個人的に思っている。歌声の甘さが逆にこの曲の恐ろしさや激しさと合っている。丸くて甘い声だから。

 

  • さらしもの KMNZ LITA × somunia cover


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    基本的にFicty(元も含め)のシンガーは好き。そして星野源曲も好き。ということで好きと好きが合わさってた物なので当たり前のように…という…この曲調は特にこの二人に合うなと思う。ちょっとアンニュイなような、、

 

  • ODDTAXI


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    Hip-Hopがそもそも好きなのですが……さらしものもそうだけどちょっと気怠げなやつが好き。

 

  • きゅうくらりん


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    いよわ曲は耳が幸せになる…きゅうくらりんは特に細かい音なども遊びが入ってていいですね。さよならジャックポットとかIMAWANOKIWAとかもその類に入る。
  • 熱異常


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    足立レイさん……の感情に落ちる羽目になった。UTAUも触った。Aftereffectも数年ぶりに触った。

 

  • Your Star


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    アークナイツ曲はOKAWARIさんの曲が好きなのですが、新曲が来てテンション爆アゲになった。最高や。今回も。

 

  • ミザン


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    友人から良いよ!てラインが送られてきて、聞いてるうちにハマってきた一曲。喧嘩別離女女曲。この女女って作者(須田さん、ぬゆりさん)の好きな女性の特徴をそれぞれキャラ化したものらしい。

 

  • Your Voice 


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    何となくきららアニメOPED群を聞き返していて何やこのジャズ?!となったのがきっかけ。原曲であるこのYour Voice(sings with 土岐麻子)は土岐麻子が参加していてさらに何やこのジャズ?!になった。めちゃくちゃいいのでよく聞いている。

その他

 

今年は専門課程が増えるのに従って将来に想いを馳せる一年間だった。希望する業種と自分の適性について考えたりしたり、初めて自学科の先輩と知り合ってそこからまた繋がりが増えたりなど…。後輩との繋がりは全くないのでヤバいかもねとなっている。

あとはとにかく一年間教授と分かり合えなかった年で、自分の言語化能力も足りないのだけれども、教授がこちらの話聞いてくれないのもあって……「こうしてきたら?」て言われたのでそうしていったら「そんなことしなくていいよw」て発表時に人前で笑われてキツすぎて教室出て泣いた。まあ学生って感じでいいんじゃないか。よくないよ。二週間くらい引きずったし三日くらい寝れなかったし…

 

また、今年は今まで、それこそ7年くらいずっとやろうやろうと思っていた楽器をついに始めて、今はドラムをやっている。サークルの関係でジャズ系メインなんだけども基本自分が今まで聞いてたのは邦ロックやアニソンのなかのダンスミュージック系だったのでそれ系も叩けるようになりたいねという所存。ただ始めてから一年しか経ってない+学業が…忙しすぎ…なのでとりあえず目先数年はジャズ系叩けるようになるのが目標である。下手だけど楽しい、ずっとやりたかったことだから…

 

作品との出会い的には「まちカドまぞく」「水星の魔女」との出会いが大きくて、特に後者を見ている間は様々な感情の変化が明らかに自ら見て取れた。今までアニメ界隈において肝心なところを描かれてこなかった女性と女性の恋愛を大きなアニメコンテンツでやる意味はすごく大きく、今まで自分はそのようなマイノリティが出てくるコンテンツを見たい時はネットフリックスでしか安心して見れてなかったんだけども、これを機に地上波作品(アニメでもドラマでも)が増えてくれると嬉しいなあと思う。12/30の日記にも書いたが、本当に自分の性質面に関しても将来について悩む一年だったので最後の最後、秋アニメでこのような作品を見ることができたのは少し嬉しさもあった。(シャディク回二話分くらいは気が狂いそうなくらい精神不安定になったけどね…結局従来のような終わり方をするんじゃないか怖くて…)他の界隈に比べて当事者であることを公表している方が多いのは作品の性質の力であるのかなと感じる。自分も少し自分の長年の悩みについて書きやすいように感じている。

あとはこの辺かなあ。

またこちらは漫画だけど藤生先生の『parlor』読んでこんな人もいるんだなあとなりました。極・恋愛体質という感じなんだろうか。人間ていろいろ幅広くいておもろいねえ。

 

酒が飲めるようになったのも人生の一区切りを迎えたという実感をこちらに与えてきた要因としてあった。別に酒自体はほどよく楽しめるし、特に日本酒が大好きなのだが(缶の酒はアルコール分と甘さが解離してるのがちょっと苦手)、酒が飲める=成人したということで、大人になったんだと…ずっと子どものままでも良かったな、というかまだ自分は子どもの気持ちなのにこれから歳を重ねるにつれ大人の扱いになることが増えていくんだとか、結婚する友人らも出てくるんだろうかとか、学生が終わるとみんな遊びにくくなるかなあとか、「大人」というのに付随する様々な寂しさが出てくる。

ここ一年で幸せだなーと感じるときは友人と適当なこと喋りながら歩く帰り道とか、隙間時間にコンビニでおやつ買って休憩しながら喋ってる時とか、ネットの人とだと適当に遊びましょうよーで遊びながら喋ってる時とかであるため、学生である期間が終わってしまうとこういうことがあまり頻繁にはできなくなるんだなあと思うと今から寂しくなっている。

 

また、配信というか、年末にはキャスなどでインターネットに声を晒した。公に晒すのは久々かな?前は確か小学生〜中学生の頃だったはずなので。今年から馬ができるようになった影響で(馬自体は俺プロのエア馬券遊びなどをしていたのでそこまで目新しさは感じていない。お金を実際にかけられるようになったことだけが変化みたいな。推しがG1勝って嬉しかったなあ。推しを肉眼で見れたのも嬉しかった。)人と予想したくね?とか、リアルタイムでちゃんと予想したいなとかでとりあえず二回ほどテストのキャスをした。どちらも土曜と平日だったのでスペースはあんま人いなさそうだったから、インターネットに声を晒す慣らしとして… 自分は自分の話し声に割とコンプレックスがあって、あと自分が配信などをすることについてこれは自己顕示なのではないかという危惧がずっとあったのだけど、そんなの抱いてるままだとしたいこと何もできなくなっちゃうよと思いいっそのことしてみようとやってみることにした。

 

あとは馬用にカメラとレンズを買ったことかなあ。全部で40数万。大きい買い物をするためにずっと貯めてきた貯金が全て消えた。まあ良い買い物です、何しろ美大生は作品撮りなどもしないとならないので…しゃあない。しゃあないよ。

今村Jとテンハッピーローズ。人馬ともにいい表情

5勝目を挙げたウインシャーロット。

マイルCS馬場入り時の推し。肉眼で見るとその白さが圧倒的。走りの力強さも圧倒的

カメラはsony α7iv、レンズはSIGMA100-400mm F5-6.3 DG DN OSです。

 

こんな感じですかね。思い出せば追加することにする。去年が穏やかな一年だとしたら今年は割と変化した一年だった。明日になったらまた目標を書きます。